先回の剣道の話に続いて、今回も写真撮影の仕事とは離れたプライベートな内容です。
大学に通っていた頃、僕は学校の近く、早稲田通りに面した飲食店でアルバイトをしていた。
店の名はバーボンハウス『カントリー』。
バーボンハウスとは名ばかりで(バーボン置いてあったけど)要するに学生が腹を満たすためにやってくる洋風定食屋だった。
店はラグビー部のたまり場で、客としてだけではなく、僕のようにアルバイトをしている部員も多かった。
今や大学ラグビーの王者は帝京という時代が続いているけれど、当時は伝統の早明戦・早慶戦で王者が決まった時代。
たくましいラガーマン達がランチの皿やコーヒーカップを運んでいた。(スープに親指つっこんで運んでいた奴もいました・・・)
そんなカントリーハウスでアルバイトするラガーマンの中にその人はいました。
岡田鉄太。僕が一年生で入った時の三年生の先輩。
大学近くに下宿していた僕の部屋に入りびたった人。
鉄太さんに部屋のカギを渡していないのにラグビー部の連中と寝ていたこともあった。
信じられないことに隣の部屋に住むシンヤ(今や歌舞伎俳優の名代として活躍。中村東三郎)のカギで僕の部屋も開けることができたのだった・・・
そんな鉄太さん、卒業後はアフリカのザンビア、西アジアのヨルダン、南アジアのスリランカ、カリブ海のセントビンセントなどに赴き、国際協力の仕事に就かれたのでした。
1995年、上記ザンビアでバオバブの木と衝撃的に出会う。そして最後の赴任地、アフリカのマラウイでは、マラウイ政府が主導する日本発の一村一品運動支援に携わり、あらためてバオバブの木に魅了される。
2017年4月にJICAプロジェクトの一村一品運動支援を終え帰国後も、バオバブの魅力を人々に伝えたい、マラウィの一村一品運動を別の形で支援していきたいとの思いから、バオバブの木から採れるオイル『天然バオバブオイル』の販売事業を立ち上げられました。
ひょんなことから東京出張中の鉄太さんと四半世紀ぶりの再会。
僕の大好きな渋谷の蕎麦屋『福田屋』で幸せな昼の酒。
※ 写真右、色々な国の太陽に焼かれた黒い顔の男の話
鉄太さんはやっぱり鉄太さんだった。
大地のような人。
鉄太さんが立ち上げた『天然バオバブオイル』の販売事業の詳細はこちらです。